島旅年譜


は日帰り訪問の島。は宿泊した島。は島の宿。
※市町村名は訪問当時のもの。


1969
生口島(いくちじま)−広島県瀬戸田町−
 まれて初めての旅行で訪問。残念ながら記憶していない。正月で寒い中を元気いっぱいに動きまわていたらしい。
仙酔島(せんすいじま)−広島県福山市−
 生口島をあとにして、福山の鞆の浦へ。船で仙酔島に渡り、ニュー錦水国際ホテルに入る。しかし、夜になって私が高熱を発し、緊急の船を渡してもらい福山市内の大日方小児科医院で入院することに!
1977
平戸島(ひらどじま)−長崎県平戸市−
 家族旅行で1泊。定期船で渡ったこと、雨が降ってたこと、松浦史料博物館へ行ったこと、土産物屋が並ぶ通りを歩いたことを記憶する。
☆平戸海上ホテル観月館(大久保町)
1982
淡路島(あわじしま)−兵庫県洲本市・津名郡淡路町・三原郡三原町・南淡町−


 
淡路国分寺跡近傍 建設中の大鳴門橋
橋前の淡路島

  家族旅行で、洲本で1泊。路線バスを乗り継ぎながら島を縦断。淡路国分寺跡、建設中の大鳴門橋を頭上にしての観潮など。

☆民宿いくえ館(洲本市海岸通一丁目)
志賀島(しかのしま)−福岡県福岡市東区−
 九州一周旅行でK君と国民宿舎しかのしま苑に1泊。翌朝、国宝金印が発見されたという場所に立つ。
☆国民宿舎しかのしま苑(志賀島)
竹生島(ちくぶしま)−滋賀県東浅井郡びわ町−


今津港からフェリーで竹生島へ
の島

 黄金週間の一日、家族で滋賀へお出かけ。ルートは次のとおり。京都駅から国鉄湖西線で近江今津駅へ。駅から徒歩で今津港へ。フェリーで竹生島へ渡る。西国三十三ヶ所三十番札所宝厳寺を参詣。竹生島から高速船第1わかあゆで彦根に渡り、彦根城、玄宮園を回り、国鉄彦根駅から東海道本線で京都に戻る。
 
  竹生島での思い出は、手のひらサイズの小さな素焼の皿に願い事を書いて拝殿から遠くへ投げる「かわら投げ」を三兄弟そろってやったこと。

1986
大毛島(おおげしま)−徳島県鳴門市−
鹿島(かしま)−愛媛県北条市−


石門
鹿島(かしま)−愛媛県南宇和郡西海町−
1987
賢島(かしこじま)−三重県志摩郡阿児町−
☆賢島ロッジ
1988
平安座島(へんざじま)−沖縄県中頭郡与那城町−
軍艦島(ぐんかんじま)−長崎県西彼杵郡高島町−



墟の島

  端島炭坑閉山で無人島となって15年目の廃墟の島を探険。核戦争で人類が滅亡したあとの世界に迷い込んだような気になった。その余りの生々しさに気分が重くなった。
高島(たかしま)−長崎県西彼杵郡高島町−


炭鉱住宅アパート群もゴーストタウン化していた
☆高島勤労会館
飛島(とびしま)−山形県酒田市−


船が着くと、港はにわかに活気づく
旅に開眼した島

 
これまでの旅といえば、時刻表片手に、JRの周遊券を使って日本国内を過密スケジュールで移動するのが当たり前となっていた。そんなわたしにとって、2泊3日飛島のんびり気まま旅は実に新鮮であった。
 
  島での時間の過ごし方は贅沢だ。帰りの船便の時刻を除けば、島にいる間は時間に束縛されることはないからだ。耳にする音は蝉時雨と子供の遊ぶ声だけの島の昼下がり、宿の部屋で扇風機を回しながら横になりうとうと…。夕方近くに、賽ノ磧まで散策。日本海に沈む夕日に出会えた。

☆YH沢口旅館
1989
石垣島(いしがきじま)−沖縄県石垣市−


台湾から石垣港に寄港した飛龍3
るばる感満点!

  石垣島へは大阪南港からフェリーで約50時間、船中3連泊の船旅。お陰で、飛行機では決して知り得ないい距離感(日本列島の広がり)をつかむことができたのは収穫だった。
 
  当時、テレビはNHKしか映らなかった島には、「笑っていいとも」「夜のヒットスタジオ」「日本レコード大賞」等々の民放番組を録画したビデオテープを揃えるレンタル店があった。

☆民宿みやけ(登野城) ☆民宿こはもと(登野城)
西表島(いりおもてじま)−沖縄県八重山郡竹富町−


子どもに銃を向けられた(白浜の船浮丸乗り場)




☆民宿池田屋(大原) ☆民宿ふなうき荘(船浮)
内離島(うちぱなりじま)−沖縄県八重山郡竹富町−


貯炭場跡
跡を求めて

  西表島舟浮でひと晩泊めていただいた池田米蔵さんにお願いして内離島に船を渡してもらう。

  内離島は今は無人島であるが、明治期には石炭の採掘で繁栄を極め、第二次大戦中まで操業、その間過酷な強制労働が行われた。

 舟浮港からわずか7分で内離島に着く。島を覆うアダンのジャングルが間近に迫る小さな砂浜に上陸。そこには貯炭場の跡が残り、波打ち際にはこぶし大の石に混ざって石炭も多数見られた。アダンの繁みを見上げると、朽ちた煙突が僅かに頭を覗かせていた。

  ハブの生息する島で、決して繁みには立ち入らないことが渡船の条件。小さな浜を一歩も出ることのないまま迎えの船に乗り込み、約45分の無人島滞在を終えた。
波照間島(はてるまじま)−沖縄県八重山郡竹富町− 


の住む島では日本最南端

 
これまで日本各地を旅してきたが、来るとこまで来たという感じ。西表からここ波照間に来てようやく天気も良くなり、気温も上昇。南国ムードも盛り上がる。集落では、子供たちが集まってすいか割りをして遊んでいたのには驚いた。3月初旬にすいかである。

  ライトブルーの海と白い浜は美しい。海開きの10日前だったが、だれもいない浜で海水浴。サンゴ礁では、小さな熱帯魚・なまこ・ひとで・かに・貝などを観察。

  島に4泊5日滞在。最盛期のさとうきび収穫作業や製糖工場を見学。燐鉱石探しにも歩いた。

  一歩も二歩も先に初夏を迎えた様な島ですっかり日焼けして京都へ戻ったら雪が降っていた。日本って本当に広いとつくづく実感した。
☆民宿勝連荘
神島(かみしま)−三重県鳥羽市− 


神島漁港
論の島

  地図帳を眺める。「離島の生活」を卒業論文のテーマに決めていたわたしは、フィールドとなる島をどこにしょうか考えていた。伊勢湾口に離島・神島を見つけてそこに決めた。その理由は調査の便を第一に考えてのこと。自宅のある京都から近くの離島がたまたま神島だったのだ。

 現地調査に3回、延べ12日間の滞在であった。島の生活や漁業の話をして下さった鳥羽市役所神島出張所の橋本さんや漁協組合長の小久保さん、そして定宿として部屋を貸してくださった喫茶さざ波さんに感謝。


  三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった神島には、いまも小説に登場する燈台、観的硝、神社に集落の古井戸などが在り、容易にその場面を目の当りにすることができる。
☆喫茶さざ波☆山海荘
1990
大根島・江島(だいこんじま・えしま)−島根県八束郡八束町−
阿多田島(あたたじま)−広島県大竹市−
元の海

 都に生まれ育ったわたしにとって、海は遠く離れた場所で、憧れの何か特別な存在である。子供のころ家族で何度か海水浴をした日本海も、父の運転する車で渋滞の国道9号線を何時間もかけてやっと辿り着く遠さだった。独りで日本各地を旅するようになって、どちらかといえば山よりも海を目指す傾向が強いのは、間違いなく盆地育ちの反動であろう。

  そんなわたしが広島での一人暮らしを始めて一ヶ月になるとある休日のこと。海が見たくて、好きな島に行きたくなって家を出た。向かう先は瀬戸内海の阿多田島。最寄のJR駅から岩国方面の電車に乗り、途中車窓に厳島を見ながら広島湾の海岸沿いを西進し、大竹駅で下車。一帯は白い煙を吐く煙突が目立つ臨海工業区域。ケミカルなにおいが漂う小方港からフェリーに乗船し約30分で阿多田島に着く。

  島には白砂の浜があり、広島に来て初めて海に接する機会を得た。岩場では牡蠣採りに夢中になる。採った牡蠣は早速、その日の晩自宅で煮て食べた。海がぐっと身近に感じられた。

  この後’93年2月まで続く広島暮らしは、わたしにとって近場に海がある―地元の海―を得た時代であった。


阿多田港
豊島(とよしま)−広島県豊田郡豊浜町−  


小野浦
事で何度も行き来した島

  県の出先事務所があり、仕事の打ち合わせ等で何回も通った島。広島宇品港より高速船で1時間15分。お昼は港近くの飯屋でよくカレイの煮付けを食べた。

 ’91年11月の離島へ行こうツアーで再訪。

江田島(えたじま)−広島県安芸郡江田島町−
大久野島(おおくのしま)−広島県竹原市−


旧陸軍の発電場跡

島後(とうご)−島根県隠岐郡西郷町・布施村−


西郷
ってもいない隠岐出張

  それも真夏。仕事は月曜日のため、前泊することになっていた。が、土曜日に隠岐入りし、日曜日は浄土ヶ浦海岸でシュノーケリングを楽しむ。

 今も使っているシュノーケルとフィンはその時現地調達したもの。


☆民宿二見館 (西郷町大字中町)
福江島(ふくえじま)−長崎県福江市・岐宿町・三井楽町・玉之浦町・富江町−
島へ行こうツアー結成

 「離島へ行こうツアー」と銘打って島好きの仲間二人と初の遠征。初日は鬼岳へサイクリング、2日目は島一周ドライブ。

 たまたま市議選投票日に居合わせたが、開票時間になると家の前に出て有線放送から流れるリアルタイムの開票速報に一喜一憂する住民の姿に、島の選挙戦の凄まじさを垣間見た。

☆民宿たが美 (福江市福江町)
能美島(のうみじま)−広島県佐伯郡能美町−
姫島(ひめしま)−大分県国東郡姫島村−
   年末の大寒波が押し寄せる最中の島旅。身の凍える寒風(薄着も一因)に耐えながら、島の東端・姫島灯台まで5kmの道を歩く。拍子水温泉で冷え切った身体を温めたあと、ヒッチハイクで来た道を戻る。
玄界島(げんかいじま)−福岡県福岡市西区−


  島の浜辺には対馬海流にのって運ばれた数々の漂着物が…。ハングル文字の牛乳パックに中国は上海のプラスチック製のウキ、遠くはフィリピンマニラ製のシャンプーの容器まで国際色豊か!
1991
利島(としま)−東京都利島村−
れられない脱出劇

 東京出張の帰り、建国記念日がらみの3連休を利用して伊豆諸島・利島へ渡ることに。行きのフェリーで1泊、島で1泊、そして帰りは大島でフェーリを乗り継いで熱海へ渡り、熱海から新幹線で当時住んでいた広島に夜遅く着くというスケジュールをたて、「これやったら(島に)行って帰ってこれる」と確信したわたしは時刻表を手にしてほくそえんでいた。

 東京晴海を夜出航したフェリーは予定通り翌早朝に利島港に着いた。ただ波が高く、波しぶきが船着場の小さな突堤を飛び越えるほどの勢い。早々と民宿に入り朝食を頂く。その時、初めて食べたアシタバのマヨネーズ和えは旨かった。日中は椿林や集落を散策して過ごす。夕食時、宿の客のおっちゃんが「今日の船が欠航して帰れなかった」と言っていたのが気になった。

 翌朝、天気は良く晴れていた。フェリーも欠航していないと聞きひと安心。が、しかしである。朝のフェリーはなんと利島を素通りして行くではないか!理由は波が高く利島への着岸は危険とのことで見送られたということらしい。「えらいことになってしもた!島から戻れず会社休む羽目に…会社の上司に連絡とらなければ…」と急にブルーな気分に。例のおっちゃんは2日連続の足止めを食らい、何か吹っ切れた感じで趣味のカメラをさげて一人宮塚山へ出掛けて行った。わたしも、「諦めなしゃーない。」とあてもなく集落をぶらつくことにした。

  しばらくして宿の主人がわたしを探して駆けつけて来て言った。「大島行きの8人乗り臨時ヘリコプターに1人キャンセルが出た。今なら間に合う。」とのこと! 数十分後ヘリは利島を離陸!運命の分かれ道とでも言おうか、そこにはヘリに間に合ったわたしと一歩の遅れで乗り損ねたおっちゃんがいた。おっちゃんはカメラを取り出し、離陸するヘリにファインダーを向けシャッターを切っていた。その姿が小さくなるのを見届けたわたしは約10分後大島空港に着陸。それからフェリーで熱海に渡り、熱海からブルートレインに乗り、翌朝なんとか無事広島に着。その足で会社に直行。普段通りの朝9時に出勤して一件落着。



☆民宿しんき(利島村)
大島(おおしま)−東京都大島町−
契島(ちぎりじま)−広島県豊田郡東野町−


海に浮かぶ工場
  正午過ぎ広島市内の自宅を発つ。JR山陽本線上り糸崎行きに乗り、三原で呉線下り岩国行きに乗り換え竹原で下車。徒歩で竹原港に着くと、5分前に船は出たばかり。50分待って16:20発の船で渡島。
 
 
厳島(いつくしま)−広島県佐伯郡宮島町−
西ノ島(にしのしま)−島根県隠岐郡西ノ島町−
大山 隠岐へ!

 学生時代の親友U君と二人で大山登山を計画。JR米子駅に集合し、バスで大山5合目に着いてしばらくすると、突然雹が降ってくるは白い霧が立ち込めるはの悪天候で、登山は中止。


 急遽その場で隠岐行きを思いつく。行ったら何とかなるだろうと下山し、境港からフェリーの最終便に乗りこむ。ゴールデンウィークの最中に宿の予約もせずも渡島したが、幸いにもその日は西ノ島の国民宿舎に泊れた。部屋に着くなり、翌日の宿探し。NTTタウンページに掲載の民宿に片っ端から電話をかけまくり、知夫里島の民宿がとれた。本当に何とかなるものだ。隠岐に来て大正解だ!
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知夫里島(ちぶりじま)−島根県隠岐郡知夫村−



野ダイコンの花が咲く
景かな、絶景かな

  西ノ島浦郷港から船で知夫里島へ渡る。知夫漁港に面した多沢集落の宿に泊る。
 
  翌日、知夫里島の標高325mのアカハゲ山へハイキング。山一帯が牛や馬の放牧地となっていて、その牧歌的な風景を取り囲むように360°青い海と点在する島々の大パノラマが広がる。これまで数多くの日本の離島を歩いたが、知夫里島のアカハゲ山からの展望は屈指の絶景である。

佐渡島(さどがしま)−新潟県両津市・佐渡郡金井町・小木町・相川町−


小木港のたらい舟
☆民宿国仲荘 (新穂村大字皆川)
虻ケ島(あぶがしま)−富山県氷見市−
大崎下島(おおさきしもじま)−広島県豊田郡豊町−
ょんな出会い

 島好き仲間4名での島旅「離島へ行こうツアー」第二弾。メンバーはいずれも大学時代の同窓。今回はわたしの住む広島に来てもらうことにした。目指すは“斎島”という瀬戸内海に浮かぶ小島。本土からの航路は無く、豊島から渡船が1日3〜4便出ている。

  一行は、宇品から今治行きの高速船で大崎下島に向かった。
大長港で下船し、海沿いの道を歩いて御手洗(みたらい)へ。

  御手洗は江戸時代に栄えた港で、古い町並みが残る。散策する一行の前に現れた一人のおっちゃん。めずらしい木があるから是非見ておきなさいと、4人を率いて屋敷の庭へ。「ひょんの木」と呼ばれるさるすべりの木があり、その前でおじさんに勧められるがままに記念撮影。

  是非うちに寄ってらっしゃいとおじさん。迎えられた4人は、応接間のソファーに。話もそこそこに、突然マイクを取り出し、カラオケを始めたおじさん。そして、わたしたちにも唄うよう歌本を差し出す。おじさんのペースに引きずられ1曲唄わせてもらった。

  「つれて逃げてよ……」♪♪♪ 曲は細川たかしの「矢切の渡し」


斎島(いつきしま)−広島県豊田郡豊浜町−


島の秋

  民宿北束さんで1泊。翌朝、広島弁丸出しで話す宿のおばちゃんが島を案内してやるとわたしたちを率いて宿を出発。児童1人の斎島小学校に立ち寄ったあと、山道を抜けて約15分で瀬戸内海が視界に広がる砂浜に辿り着いた。「夏になると海水浴に来るんよ。向こうに見えるんが四国じゃけえ。」と左手に持った竹の杖で四国の方を指して見せた。

  秋の日差しが暖かい静かな浜辺で、4人はただただ海を眺めて過ごす。

民宿北束
屋代島(やしろじま)−山口県大島郡大島町・久賀町・東和町−
1992
徳之島(とくのしま)−鹿児島県大島郡徳之島町・伊仙町・天城町−
 鹿児島空港から空路1時間。亀津で2泊。航路で来たM君とレンタカーで島一周。犬之門蓋、松原銅山跡、ムシロ瀬を巡る。
下蒲刈島(しもかまがりじま)−広島県安芸郡下蒲刈町−


福島雁木という階段状の船着き場

真鍋島(まなべしま)−岡山県笠岡市−


真鍋島港
戸内海の幸を堪能する

  元漁師が営む活魚料理屋「漁火(りょうか)」は、海に浮かべた生簀から活魚を運び、その場で料理してくれる。瀬戸内海名物のアナゴ・シャコをはじめ鯛・ヒラメ・タコ・エビの生き作り…次々と惜しげも無く出される料理は、箸を休める間を与えない。お任せは、一人5千円(ビールも含む)で大満足!

似島(にのしま)−広島県広島市南区−
石垣島(たけとみじま)−沖縄県石垣市−


島の最北・平久保崎
  離島へ行こうツアー第三弾は、四連休を利用して沖縄に飛ぶ。
石垣島訪問は、’89年以来3年ぶり2度目。今回は、レンタカーでの島内一周ドライブ。
☆民宿石垣島(石垣市大川)
竹富島(たけとみじま)−沖縄県八重山郡竹富町−


なごみの塔から町並みを望む
 旅の2日目の夕刻、石垣島より船で竹富島入り。島で2泊する。赤瓦の屋根、シーサー、サンゴの石垣、サンゴの白い道など沖縄独特の集落景観を残す島内を自転車で巡る。北岬でシュノーケリングを楽しむ。
四阪島(しさかじま)−愛媛県越智郡宮窪町−


場の島を探索

  住友金属鉱山四阪工場の島で、全島社有地。新居浜から会社の高速船で通勤する工員に混じって島へ渡る。昭和30年代前半には4000人もの従業員とその家族の生活の場であったという社宅跡を歩く。探索を終え帰りの船を捜していた時、工場の守衛に問われ、新居浜へ戻る給水船で強制送還された。
1993
金輪島(かなわじま)−広島県広島市南区−
奄美大島(あまみおおしま)−鹿児島県名瀬市−
    伊丹空港から空路1時間40分。名瀬港に面した宿に泊まる。翌朝、名瀬港より週1便の定期船「としま」で宝島に向かう。
☆トロピカルホテル(名瀬市塩浜町)
宝島(たからじま)−鹿児島県鹿児島郡十島村−


宝島港で釣りをする
☆とから荘
天草下島(あまくさしもしま)−熊本県本渡市・天草郡河浦町・天草町苓北町−


崎津天主堂
天草上島(あまくさかみしま)−熊本県本渡市−
 本渡瀬戸を挟んで上島と下島に跨る本渡市で1泊。たまたま泊った民宿が上島にあった。
☆民宿武田(本渡市)
三宅島(みやけじま)−東京都三宅村−


溶岩でできた断崖
勢5名の島旅

 東京晴海埠頭を23時過ぎ出航したフェリーは、前日の欠航で足止めされていた乗客もあわせ超満員であった。我々の2等船室の混雑ぶりは凄まじく、横になっているわたしの鼻の先には、隣で寝ている見知らぬおばちゃんの足裏が…。すし詰めの船内でほとんど不眠のまま、三宅島に午前4時半到着。港からバスで移動し、宿に着いた頃夜が明けた。宿で仮眠。朝食後、島一周ドライブ。車を走らせて間もなく、車窓から見る景色に驚く。島に着いた時は暗闇で気づかなかったが、島はいたるところが溶岩や噴火石で覆われた裸地であった。さすがは活火山の島である。

☆民宿 三雄館(坪田)
1994
大多府島(おおたぶじま)−岡山県和気郡日生町−


大多府港
犬島(いぬじま)−岡山県岡山市−


明治40年代の銅の精錬工場跡
奥尻島(おくしりとう)−北海道奥尻郡奥尻町−


津波被害から1年が過ぎた青苗地区
  ☆菊地旅館(奥尻町青苗)
1995
大島(おおしま)−和歌山県西牟婁郡串本町−


海金剛
壱岐島(いきのしま)−長崎県壱岐郡郷ノ浦町・石田町・芦辺町・勝本町−
り回って200Km

  JR夜行快速列車「ムーンライト九州」で早朝博多入り。そのあしで博多港から九州郵船のフェリーで85分、昼前に壱岐島郷ノ浦港に到着。連休のため予約でいっぱいのレンタカーは
夕刻まで待ってやっと軽四を確保。 さっそく島の最高峰岳の辻(213m)へ。展望台からは360°島全体が見渡せ、その大きさを掴む。それから小一時間ほど走ると、薄暮の山里に温泉を発見!“男岳温泉”という施設が建つ。入湯料300円を支払い、露天風呂「神湯」へ。サビ色の湯は少々塩味。釣り客と近所の老人が主な客で、知る人ぞ知る温泉といった感がある。
 
  翌朝5:00に起床し、郷ノ浦のホテルを発つ。猿岩、砲台跡を経て勝本港へ。勝本朝市で朝取り出したばかりの生うに(1300円)を買う。そして、ほか弁屋で炊きたてごはん(130円)を買う。 9:30岳の辻。五月晴れ。雲一つ無い青空の下、壱岐の大パノラマを前にして、お楽しみ“生うにのぶっかけめし”を食べる。とにかく店で食べるのと生うにの量が違う。混ぜると白い飯粒一つ一つがうに色に染まるほどだ。終日ドライブ。初瀬、松永記念館、原の辻遺跡、安国寺、左京鼻、はらほげ地蔵、清石浜、芦辺港、勝本城跡、渡良浦を巡り、郷ノ浦の大衆割烹にてにぎり寿司を賞味。宿はとってなかったが、“男岳温泉”に駆け込み、2000円で素泊まりする。

  壱岐滞在最終日は、勝本朝市、遣新羅使雪連宅満墳墓、壱岐風土記の丘、春一番の塔、唐人神を巡り、夕刻印通寺港から呼子行きのフェリーで壱岐を後にする。



島の最南・初瀬
☆壱岐交通ホテル(郷ノ浦町)  
☆男岳温泉(芦辺町箱崎江角触)
高島(たかしま)−佐賀県唐津市−


1996
池島(いけしま)−長崎県西彼杵郡外海町−
 
池島港 所狭しと立ち並ぶ社宅群
役の炭鉱街を訪ねる

 日本唯一の炭鉱の島。鉄筋アパートが建ち並び、総合病院やスーパーマーケット、スナック、バー、パチンコ店まである

☆美松旅館
1997
江の島(えのしま)−神奈川県藤沢市−


橋を渡らず、遊覧船で島に向かう

阿嘉島(あかしま)−沖縄県島尻郡座間味村−
だ」とい

赤瓦の屋根も沖縄を実感させてくれる
末どさくさノルマ達成の旅
 

 
1年に1島のノルマを果たすべく、辛うじて年末ぎりぎりに行った島。1泊2日の強行軍で、久しぶりの沖縄にもかかわらず滞在時間は31時間。島ではU君がダイビングを楽しむ一方でわたしは風邪で咳をしながら集落を散策。夕食のあと、宿の主人が三線(沖縄の三味線)で島唄を披露してくれた。泡盛を飲みながら、「沖縄に来たんだ」という実感に浸る一時であった。
☆民宿くば(阿嘉)
外地島(ふかじしま)−沖縄県島尻郡座間味村−
1998
答志島(とうしじま)−三重県鳥羽市−
☆寿々波(和具)
見島(みしま)−山口県萩市−

見島米は島外にも出荷される うにめし



  萩−見島間を70分で結ぶ高速船「おにようず」の午前便で渡島。島に着いて間もなく、「本日午前山口県・九州北部梅雨明け宣言」のニュースを知る。いよいよ夏本番スタート!!

☆岩崎旅館 (本浦)
青海島(おおみじま)−山口県長門市−


1999
伊島(いしま)−徳島県阿南市−


伊島港
国最東の島

 明石海峡大橋が開通して丸1年。京都から陸路で2時間50分、バスは徳島駅前に到着。7年ぶり3度目の徳島県訪問。今回の旅のきっかけは、高速バスの開業。便利で近くなった四国を体感したいというのが所期の目的。しかし、それは、あっけなく果たされた。この先これといった行くあてはない。毎度のことだ。駅前の観光案内所で入手した全県地図を見て行き先を検討。紀伊水道に浮かぶ孤島・伊島が気になる。

 早速阿南市役所に問い合わせると、島へ渡る船は1日2便で、民宿が2軒という。その情報を頼りに、JR牟岐線の列車に乗りこみ、阿南へ直行。こんないきあたりばったりの島旅もありだ。

☆桧垣旅館(瀬戸)
沖の島(おきのしま)−高知県宿毛市−


母島港
国最南の島

 
伊島から4日後の昼下がり、わたしは高知県の最西端・沖の島に向かう船に揺られていた。宿毛市片島港を出航して1時間ほどして、進行方向左手に沖の島が見えていた。

  沖の島には母島(もしま)と弘瀬の二つの主要な集落があり、先に寄港する母島で下船。宿は船着場の真ん前の「おきのしま旅館」で、2階の部屋からの眺めは抜群。宿に着くなり、風呂を勧められ入浴。

  夕方、風呂上りの一杯を求めて近所の店へ。よく冷えた缶ビールを買い、早速店の前で飲む。旨い!最近では、すっかり旅の友となったビールである。やがて西日が差してくると、一気に集落はまぶしく照らされた。食事の時間まで、集落を散策することにした。

☆おきのしま旅館(母島)
舳倉島(へぐらじま)−石川県輪島市−
女が主役の島

  日本海に大きく突き出た能登半島の北岸、輪島市の北方沖約48qに位置する孤島・舳倉島。海女漁が盛んで、夏の漁期に輪島市海士町の漁民が季節的移住を行う島とあって、以前から是非行ってみたい島の一つであった。その機会が突然やって来た。それがこの夏奥能登へ海水浴に行った帰り道に立ち寄った輪島でのこと。「せっかくここまで来たのだから、この際迷わず行ってしまおう!」と思い立ち、急遽船の時間を調べ、島の民宿を確保。このようにして、輪島発1泊2日の舳倉島にわか旅行の運びとなった。


  輪島港から高速船で1時間20分。最高地点が13mと平坦な島に、白い燈台がひときわ目立つ。周囲5.1qの小さな島は歩いても1時間ほどで一周できる。集落は小さな港に沿って家並みが続き、港には小さな漁船が所狭しと繋留されていた。板張りの家が数多く残り、ひと昔前の日本の漁村を想わせる風景が気に入った。

 盛夏の島では、海女漁がピークを迎えていた。島の西海岸からも漁の様子を見ることができた。一回の潜水は約30秒。ほとんど休みなく繰返される。午後2時半頃、港ではアワビとサザエを水揚げする海女たちで活気づく。


舳倉島漁港
☆民宿つかさ
2000
向島(むかいしま)−広島県尾道市・御調郡向島町−
まなみ海道サイクリング

 
残暑厳しい8月末の島旅。8年ぶりに訪ねた尾道を起点に、レンタサイクルで「瀬戸内しまなみ海道」を走りながら、どこか適当な浜辺でこの夏最後のひと泳ぎを楽しもうとの趣向だ。尾道市街と尾道水道をはさんで向い側にある向島へは、JR尾道駅近くから渡船で5分。

  向島に着き、ペダルを踏む。向島は、度々仕事で訪ねたことのあるちょっとしたなじみの島だ。見覚えのある景色を確かめながら、営業車ではなく自転車で走っていることが妙に新鮮に感じられた。
岩子島(いわしじま)−広島県御調郡向島町−
  向島と橋で結ばれた岩子島に寄る。島の西岸に岩場で挟まれた小さな砂浜を見つけ、シュノーケリング。水中は濁っていて、残念ながら確認できた魚は数尾。
因島(いんのしま)−広島県因島市−


因島大橋
所・因島大橋越え

 岩子島から再び向島を海沿いに走ると因島大橋が姿を現わす。この橋を渡ることは、自転車にとっては一つの峠越えのようなものだ。なにしろ標高50mに架かる橋まで、海岸沿いの道から分岐する長いつづら坂をに登りつめねばならないのだ。立ちこぎでペダルを踏みこむ。汗ダラダラ、心臓バクバク、血流ドクドク。途中一度休憩してなんとか難関を突破。橋は上下二段構造で、上部は自動車、下部の自転車歩行者道を行く。

 17時因島上陸。島の南玄関・土生港まで走り、サイクルステーションで乗捨てる。今回の瀬戸内しまなみサイクリングはここまで。いつかこの続きを走ってみたいと思った。

☆いんのしまシーサイドホテル (土生)
魚島(うおしま)−愛媛県越智郡魚島村−
の舞台裏

  快速船ニューうおしまは因島土生港を出航。しばらくすると島々が重なり合う多島海の風景を離れ、船は燧灘に浮かぶ孤島を目指して突き進む。ちょうど1時間の乗船で、正午過ぎ魚島・篠塚漁港に着く。

  桟橋前の村役場、開発センター、郵便局が並ぶ一角に立つビルが、昨夜予約した宿の“魚島観光センター”である。3階の部屋に案内された。10畳のきれいな和室。とにかく静か。シーンとしている。

  篠塚集落の背後の山を越え、島の南岸に出る。ひょうたん島の見える砂浜でシュノーケリングなどこの夏最後の海を堪能。

 夕方、宿に戻り入浴。浴室の小窓から見える土生行きの本日最終便。夕日がきれい。

  観光センター1階のレストランしおじにて夕食。さすがは魚島!刺身、すずきの焼物、かれいの煮付けなど全品魚料理に満足。宿泊客はわたし一人だったが、地元客の姿もみられた。ここは島で唯一の社交場なのだろう。

  観光センターを切り盛りするのは、島の人から「板さん」と呼ばれるおじさん。
実はこの「板さん」休暇をとって故郷の福山に帰っていたところ、昨夜わたしが宿の予約を入れたことで、急遽休暇を切り上げて今朝の船で福山から戻って来られたとのこと!たった一人の気まぐれな客(=わたし)のためにだ! 魚島の旅の舞台裏の真実を知り、「板さん」にただただ感謝!


篠塚漁港
☆魚島観光センター
仁右衛門島(にえもんじま)−千葉県鴨川市−
白地帯房総半島の旅

 日本の47都道府県全てを訪れたことのある人は国民の何パーセントなのかは知らないが、わたしはその一人である(1990年2月「茨城県」訪問を最後に達成)。しかし、その足跡を辿ってみると、自ずと地域的に濃淡がみられる。わたしにとって北関東および千葉が最淡地域となる。上京ついでに、初めて房総半島に出かけた。

  JR外房線の普通電車に乗り、終点安房鴨川まで。鴨川で1泊。ちょうど“鴨川合同祭
の日で、まちは祭りムード一色。日が暮れると山車、屋台、神輿の巡行は熱気を帯び、夜更けまで続く。ふらりと訪れたまちでその土地の祭りに触れるなど、これぞ旅の醍醐味というもの。
 
  翌朝は、千葉県唯一の有人島“仁右衛門島”
。手こぎ舟で5分とかからず島に着く。まずは、島の高台に建つ島主“平野仁右衛門”さん宅の奥庭を拝見。母屋の建物は古く、約300年前津波で被害を受けた後、現在の場所に移築されたもので、代々島主が住み続けているため、家の傷みは少なく補修程度で済んでいるとのこと。

 磯遊びには最適の島で、この日も
この夏最後の海を楽しみに来た客を乗せた舟が休むことなく往来していた。


島へは手こぎ舟で渡る
2001
友ケ島(ともがしま)−和歌山県和歌山市−
2001

旧陸軍の要塞であった島に残る砲台跡
上甑島(かみこしきじま)−鹿児島県薩摩郡里村・上甑村−


長さ4qにもわたる砂州・長目の浜
れり尽くせり

  串木野新港からフェリーこしきで90分、上甑島里港に着く。下船して直ぐ白亜の半円形ビルで目立つ“里村交流センター甑島館”にチェックイン。全室オーシャンビューの部屋は都会のビジネスホテルと全く変わらない設備。午後の2時間、宿泊者向けサービスの島内一周観光バスツアーに参加。長目の浜、甑大明神橋、中甑島などを運転手兼ガイドのお兄さんが案内。ホテルに戻り、1階の温泉大浴場で汗を流す。夕食はキビナゴの塩焼きなど薩摩の味を楽しむ。実に便利で快適な最新の設備と行き届いたサービスだが、甑島の土地のニオイが感じられない。いつもの島旅との違和感を覚えるのはこのせいかもしれない。

 翌日、トンボロ地形に発達した里集落を歩く。自分の足で、自分の嗅覚にまかせて…漸くいつもの島旅らしくなってきた。

☆里村交流センター甑島館(里村里)
中甑島(なかこしきじま)−鹿児島県薩摩郡上甑村−
下甑島(しもこしきじま)−鹿児島県薩摩郡下甑村−
上山脈

 
上甑島里港から下甑島最南の手打港まではフェリーこしきに乗船。進行方向右手には急峻な山脈からなる甑島列島のパノラマが続く。北から南へ中甑、平良、鹿島、長浜の順に寄港した船が手打港に着く頃には日が傾きかけていた。里から丸3時間の船旅だった。

 宿は港に近い新栄館。船内電話から予約を入れておいた。泊り客は船で同乗だった夫婦とわたしの3人。川内から来たという夫婦は、夫が奄美大島出身で、妻が徳之島出身。甑島は初めてという。甑島にいながら奄美大島を話題に夕食を共にした。

  翌日、夏だけ走らせる村営の定期観光バス(マイクロバス)に乗る。今シーズン最終便とのことであったが、乗客は新栄館3人組だけ。所要時間は3時間余り。見所は村内に点在する数箇所の展望所と滝。それらを結ぶ
コースは、標高400メートル級の山々を縫う曲がりくねった狭くて険しい山道の連続。前後左右に揺られるバスの中で、地形上の制約に由来する島の道路事情の厳しさを身をもって知った。
 
  帰路は、手打港から高速船シーホークで串木野新港へ。



ナポレオン岩
☆新栄館(下甑村手打)
2002
宇久島(うくしま)−長崎県北松浦郡宇久町−
イランドホッピング起点の島

 日付の変更と同時に博多港を出航したフェリー「太古」は、約4時間余りで最初の寄港地・宇久島平港に着いた。下船した客の多くは里帰りのようで、迎えの車で行ってしまった。とりあえず誰もいないフェリー待合所に入り朝を待つことにする。

 間もなく一人の釣客が入って来た。彼は福岡の宗像の人で、学生時代は寺と城を巡って国内を旅し、今は仕事で九州各地を回る営業マンという。旅好き同士話が弾む。彼のお勧め温泉ベスト3は、第3位黒川温泉、第2位霧島温泉、そして第1位がなんと鹿児島県の口之永良部の温泉という。また、島なら福岡県の沖ノ島だという。渡船をチャーターするならここに頼むとよいと地元の釣具店の電話番号を教えてくれた。島旅好きにはなかなか興味深い話が聞けた。

  待合室2階には仮眠室(4:10から8:00まで利用可)があり、5時を過ぎてから入ると既に6名がお休み中で、室内のソファーに横になる。

  8時前に仮眠室を発つ。観光マップを入手し、行き先を考える。このまま宇久島にいてもよかったが、寺島経由で小値賀島を結ぶ航路に惹かれ、船の時刻を確認し、船の出る神浦へ宇久観光バスで移動する。



午前4時20分宇久島平港で下船
寺島(てらしま)−長崎県北松浦郡宇久町−


 
ひっそりとした集落 定期船がやってきた
なる島

 寺島へは、宇久島・神浦港から定期船「第三みつしま」で10分。次の便が来るまで約2時間の滞在。島を離れた人が多いのか、空家や更地が目立つ。商店も自動販売機1つもない。見かけた人は4人だけ。犬、猫の姿もない。ほとんど動きのない景色の中、至る所でウグイスの囀りだけが響いていた。

小値賀島(おぢかじま)−長崎県北松浦郡小値賀町−
☆小西旅館(笛吹郷)
中通島(なかどおりじま)−長崎県南松浦郡上五島町・若松町・新魚目町・有川町・奈良尾町−


中ノ浦(若松町)
☆セントラルホテルナラオ(奈良尾町奈良尾郷)
☆青方サンライズホテル(上五島町青方郷)  
頭ヶ島(かしらがしま)−長崎県南松浦郡有川町−


 
頭ケ島教会 教会内部
若松島(わかまつじま)−長崎県南松浦郡若松町−
石垣島(いしがきじま)−沖縄県石垣市−


川平湾
☆クラブメッド・カビラ
小浜島(こはまじま)−沖縄県八重山郡竹富町−


島内サイクリング
2003
対馬島(つしまじま)−長崎県県下県郡・上県郡−


島を離れる友と別れ(比田勝港)
スポート持参 国境の島から出国!

☆柳屋ホテル(厳原町今屋敷)  
☆ホテル金石館(厳原町今屋敷)
島山島(しまやまじま)−長崎県下県郡美津島町−
 対馬中央部の浅芽湾に浮かぶ島。対馬島を縦走する国道382号を比田勝から厳原方面へ向かう途中に寄る。架橋により、かつてのスクールボートに代わって今はスクールバスが運行されている。
 
バス待合所の前は子供の遊び場でもある 蜂胴による養蜂
静かな浅芽湾内の入江に数軒が並ぶ集落
2004
直島(なおしま)−香川県香川郡直島町−


キャンプ場から四国・高松を望む
☆直島国際キャンプ場(琴弾地)
情島(なさけじま)−山口県大島郡周防大島町−
けない島旅

  屋代島伊保田港から町営「せと丸」の始発で渡島。7:30すぎ上陸。まずは神社の高台から本浦を一望。

 海岸沿いに「ふたば海難慰霊之碑」が建つ。碑文によると、昭和51年、沖合いで日本カーフェリー「ふたば」(宮崎細島港発広島宇品港行き)がパナマ船籍大型貨物船と衝突し、浸水。情島の漁船30隻の献身的救助があったとのこと。

  情島小中学校まで海岸沿いの道を歩く。休日で子供の姿はなかった。

 
港に戻る。時間はまだ9:00。昼過ぎまで船便は無い。ジュースを買おうとしたが、港に唯一の自動販売機は壊れていた。雨がぱらぱらと降り出す。小さな待合所に駆け込む。雨足は激しくなり、缶詰め状態。手持ち無沙汰で、置かれていた古い雑誌や電話帳までも引っ張り出してページをめくる。

  12:35 待ちに待った「せと丸」で島を離れる。





本浦
屋代島(やしろじま)−山口県大島郡周防大島町−
☆民宿ラ・メール(下田)
沖家室島(おきかむろじま)−山口県大島郡周防大島町−


本浦
2005
大根島(だいこんじま)−島根県八束郡八束町−


ボタン

佐久島(さくしま)−愛知県八束幡豆郡一色町−


東港の夕景 おひるねハウス 黒壁の家並み
☆民宿ゆきや(西屋敷)

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