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波照間島
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波照間島文献目録 |
著者・編者 | タイトル | 発行所 | 発行年 |
---|---|---|---|
江崎悌三 | 「波照島と与那国島」 本山桂川編『嶋と嶋人』 |
八弘書店 | 1942年 |
宮良當壯 | 「波照間島」 『日本の隅々』 |
養徳社 | 1947年 |
酒井卯作 | 「波照間島調査報告 -沖縄八重山郡-」 『日本民俗学』2-2 |
日本民俗学会 | 1954年 |
山下幸男 | 「波照間島における社会-上,下-」 『中京商学論叢』18-2 |
中京大学学術研究会 | 1971年 |
長沢憲正 | 「沖縄農業のあり方を示す-沖縄県・竹富町波照間島」 朝日新聞社編『新しい農村’74』 |
朝日新聞社 | 1974年 |
加屋本正一 | 「波照間島の農耕と儀礼」 『八重山文化』4 |
八重山文化研究会 | 1976年 |
住谷一彦 | 「波照間島の盆祭-調査日記抄-」 住谷一彦・クライナー ヨーゼフ『南西諸島の神観念』 |
未来社 | 1977年 |
住谷一彦・ クライナー ヨーゼフ |
「パティローマ -モノグラフによる日本民族=文化複合へのアプローチ-」 住谷一彦・クライナー ヨーゼフ『南西諸島の神観念』 |
未来社 | 1977年 |
片桐真二・辻邁 | 「八重山の一離島、波照間島に於ける小児の貧血について」 『沖縄の小児保健』6 |
-- | 1978年 |
金関丈夫 | 「沖縄波照間島発掘の石器」 『琉球民俗誌』 |
法政大学出版局 | 1978年 |
杉浦正輝ほか | 『沖縄県離島住民の保健医療情報の収集・評価ならびに その対策に関する研究 波照間島を事例として』 |
-- | 1979年 |
保仙純剛 | 「ドゥムチ(世持ち)のムラ支配-沖縄県与那国町の調査報告-」 『沖縄民俗研究』2 |
沖縄民俗学会 | 1979年 |
波平勇夫 | 「多元的指標による村落階層構造の分析 池間島、具志頭村港川、波照間島の比較」 『沖縄国際大学文学部紀要 社会学科篇』8-1 |
沖縄国際大学文学部 | 1980年 |
下嶋哲朗 | 『そてつ祭り』 | 理論社 | 1981年 |
沖縄国際大学 南島文化研究所 |
『波照間島調査報告書』 | -- | 1982年 |
真栄城守定 | 「波照間へ」 『八重山・島社会の風景』 |
ひるぎ社 | 1982年 |
石原昌家・石原ゼミナール 戦争体験記録研究会 |
『もうひとつの沖縄戦 マラリア地獄の波照間島』 | ひるぎ社 | 1983年 |
野本寛一 | 「焼畑地域研究ノート 八重山諸島の焼畑 波照間島」 『焼畑民俗文化論』 |
雄山閣出版 | 1984年 |
--- | 「沖縄県竹富町波照間 果てのウルマ、波照間にたつ」 『旅の手帖』1986.3 |
弘済出版 | 1986年 |
C・アウェハント | 「波照間島における神観念と世界観の一考察」 『法政大学第7回国際シンポジウム 沖縄の古層を考える』 |
法政大学出版局 | 1986年 |
川田文子 | 「波照間紀行 パイハティローマの伝説に魅かれて」 『季刊銀花』1987.12 |
文化出版局 | 1987年 |
桝田武宗 | 『12歳のちいさな恋 幸福にいちばん近い島からの手紙』 | ポプラ社 | 1987年 |
C.アウェハンド | 「波照間島の社会宗教的構造をめぐって」 『人文学報』62 |
京都大学 人文科学研究所 |
1987年 |
坂本磐雄 | 「集落景観の事例 八重山地方 波照間島北・南」 『沖縄の集落景観』 |
(財)九州大学出版会 | 1989年 |
山本脩 | 「お餅を食べない「日本最南端」の正月」 『週刊新潮』1991.1.10 |
新潮社 | 1991年 |
幸地哲 | 「ムシャーマ 波照間」 沖縄タイムス社編『おきなわの祭り』 |
沖縄タイムス社 | 1991年 |
長沼信夫 | 「波照間・南大東両島における水環境とその利用」 『駒沢地理』28 |
駒沢大学文学部 地理学教室 |
1992年 |
泉水英計 | 「波照間島における東西双分観の批判的検討」 『常民文化』15 |
成城大学 常民文化研究会 |
1992年 |
泉水英計 | 「波照間島における東西双分観の批判的検討」 『常民文化』15 |
成城大学大学院 | 1992年 |
有吉佐和子 | 「南の果て 波照間島」 『日本の島々、昔と今。』 |
中央公論社 | 1993年 |
本木修次 | 「もう一つの沖縄戦」 『離島めぐり15万キロⅡ』 |
古今書院 | 1993年 |
通事考作 | 「波照間島 もっと南の、その果てへ」 まぶい組編『島々清しゃ』 |
ボーダーインク | 1993年 |
松山巖 | 「近代日本が見た夢 11回 キビ作・製糖編 沖縄(上)」 『週刊朝日』1993.9.3 |
朝日新聞社 | 1993年 |
松山巖 | 「近代日本が見た夢 12回 キビ作・製糖編 沖縄(中)」 『週刊朝日』1993.9.10 |
朝日新聞社 | 1993年 |
松山巖 | 「近代日本が見た夢 13回 キビ作・製糖編 沖縄(下)」 『週刊朝日』1993.9.17 |
朝日新聞社 | 1993年 |
武藤美也子・松本英子 | 「波照間島のソーロン(ムシャーマ)」 高阪薫ほか編『沖縄祭祀の研究』 |
翰林書房 | 1994年 |
大山了己 | 「民俗音楽から見た波照間島の自然環境の認識」 『沖繩民俗研究』15 |
沖縄民俗学会 | 1995年 |
大山了己 | 「民俗音楽から見た波照間島の自然環境の認識」 『沖縄民俗研究』15 |
沖縄民俗学会 | 1995年 |
安藤潔 | 「果てウルの島-最南端・沖縄県波照間島」 『日本最果て紀行』 |
近代文藝社 | 1995年 |
大田静男 | 「波照間の悲劇」 『八重山の戦争』 |
南山舎 | 1996年 |
櫻井寛 | 「波照間海運・安栄観光 石垣島→波照間島 「日本最南航路」は神出鬼没!?」 『時刻表すみずみ紀行Ⅱ〔西日本編〕』 |
トラベルジャーナル | 1996年 |
上野和男 | 「波照間島の祖先祭祀と農耕儀礼 -ムシャーマ行事を中心とする盆行事の考察-」 『国立歴史民俗博物館研究報告』66 |
国立歴史民俗博物館 | 1996年 |
大石芳野 | 「南十字星」 『沖縄 若夏の記憶』 |
岩波書店 | 1997年 |
島袋伸三 | 「サンゴ島の土地利用と農業 波照間島」 『地域開発』404 |
1998年 | |
渡久地健 | 「ヌングンジマの緑地保全-波照間島を旅して」 『地域開発』400 |
-- | 1998年 |
仲底善章 | 「波照間島の神行事」 『沖縄県立博物館紀要』24 |
沖縄県立博物館 | 1998年 |
朝岡康二 | 「波照間の村と井戸のつながり」 国立歴史民俗博物館編『村が語る沖縄の歴史 -歴博フォーラム「再発見・八重山の村」の記録-』 |
新人物往来社 | 1999年 |
東喜望 | 「波照間出身の英傑と異人・渡海伝承」 『沖縄・奄美の説話と伝承』 |
おうふう | 1999年 |
本木修次 | 「波照間島-軍命で無人化、もう一つの沖縄戦 沖縄県(竹富町)」 『無人島が呼んでいる』 |
ハート出版 | 1999年 |
森口豁 | 「パティローマへの旅 アジアの北限としての沖縄」 『沖縄 近い昔の旅 非武の島の記憶』 |
凱風社 | 1999年 |
二宮真理子 | 『ベスマ!-まりこ先生とゆりちゃんの波照間島日記-』 | ボーダーインク | 1999年 |
太田陽子 | 「波照間島-サンゴ礁段丘の島・日本のバルバドス」 『変動地形を探るⅠ 日本列島の海成段丘と活断層の調査から』 |
古今書院 | 1999年 |
佐古井貞行ほか | 『生活社会の構造論理 波照間島の消費構造』 | 愛知教育大学 | 2000年 |
江本勝 | 「波照間島訪島記」 『月刊波動』86 |
IHM | 2000年 |
林完次 | 「星砂とサンゴ礁 沖縄県波照間島」 『宙の旅』 |
小学館 | 2001年 |
島袋伸三・渡久地健 | 「サンゴ島におけるサトウキビ農業の変化 -圃場整備後の波照間島の事例」 『人間科学』8 |
琉球大学法文学部 | 2001年 |
沖縄県高等学校 地学教育研究会編 |
「波照間島の地形と岩石」 『おきなわの石ころと化石-島じまの地層めぐり-』 |
編集工房東洋企画 | 2001年 |
椎名誠 | 「夜空に満足」 『旅の紙芝居』 |
朝日新聞社 | 2002年 |
安里進 | 「起源論争の島」 『東北学』6 |
東北芸術工科大学 東北文化研究センター |
2002年 |
大木隆志 | 「古宇利島に似た階段状の島 高那崎~南(波照間島)」 『海と島の景観散歩 沖縄地図紀行』 |
ボーダーインク | 2002年 |
名嘉正八郎 | 「下田原グスク(波照間島)-竹富町字波照間」 『グスク探訪ガイド』 |
ボーダーインク | 2002年 |
賀納章雄 | 「現代南島における伝統的作物の復活 -沖縄県石垣島・波照間島のキビ栽培を中心に-」 『史泉』96 |
関西大学史学・地理学会 | 2002年 |
中鉢良護 | 「歴史と構造-波照間のプーリン/アミジワー-」 『琉球・アジアの民俗と歴史-比嘉政夫教授退官記念論集-』 |
榕樹書林 | 2002年 |
丸山顕徳 | 「波照間島のイタツキバラ」 篠田知和基編『神話・象徴・文学 2』 |
楽浪書院 | 2002年 |
さとなお | 「自分史上最高ビーチ&ビール」 『沖縄上手な旅ごはん』 |
文藝春秋 | 2003年 |
林完次 | 「日本の一番南へ星を見る旅」 Coralway編集部編『沖縄島々旅日和』 |
新潮社 | 2003年 |
高橋誠一 | 「八重山古地図による集落の復原 波照間島・与那国島の集落」 『琉球の都市と村落』 |
関西大学 東西学術研究所 |
2003年 |
狩俣恵一・丸山顕徳編 | 『西表島・黒島・波照間島の伝説・昔話』 | 三弥井書店 | 2003年 |
向一陽 | 「波照間島 日本の最南端」 『日本全国 離島を旅する』 |
講談社 | 2004年 |
卜部勝彦 | 「地域を考える地形図読図 第6回 波照間島~隆起サンゴ礁の離島を読む~」 『地理』49-10 |
古今書院 | 2004年 |
鈴木正崇 | 「沖縄 波照間島の神話と儀礼」 『祭祀と空間のコスモロジー 対馬と沖縄』 |
春秋社 | 2004年 |
カベルナリア吉田 | 「八重山諸島 その③ 竹富島・波照間島 島旅のきっかけを作った2つの島」 『沖縄の島へ全部行ってみたサー』 |
東京書籍 | 2004年 |
通事孝作 | 「波照間島の燐鉱採掘~景気を浮揚させ住民生活を潤す~」 中田龍介編『八重山歴史読本』 |
南山舎 | 2004年 |
長嶋俊介 | 「波照間島 はての珊瑚の島」 『島 日本編』 |
講談社 | 2004年 |
宮良作 | 「波照間島に強制避難命令」 『沖縄戦の記録 日本軍と戦争マラリア』 |
新日本出版社 | 2004年 |
廣瀬武司編 | 『日本最南端の島 波照間島 廣瀬武司写真集』 | 廣瀬武司 | 2004年 |
コルネリウス・アウエハント・ 静子、アウエハント |
『写真集 波照間島 祭祀の空間』 | 榕樹書林 | 2004年 |
コルネリウス・アウエハント | 『HATERUMA-波照間 南琉球の島嶼文化における社会=宗教的諸相』 |
榕樹書林 | 2004年 |
斎藤潤 | 「波照間島-南果つる島の幻の泡盛」 『沖縄・奄美《島旅》紀行』 |
光文社 | 2005年 |
山村雅康 | 「竹富島/西表島/波照間島」 『人口減少時代の豊かな暮らしと仕事の場』 |
批評社 | 2005年 |
カベルナリア吉田 | 「民宿勝連荘(波照間島) 祝 本書最高齢!89歳おじいちゃんと語り明かそう(息子さんもナイス)」 『オキナワ宿の夜はふけて』 |
東京書籍 | 2005年 |
森口豁 | 「五七年前の「有事」 島は地獄と化した-波照間島」 『だれも沖縄を知らない-27の島の物語』 |
筑摩書房 | 2005年 |
宮西郁美 | 「波照間島ユイマールにみる協同労働組織の実態と新たな機能」 『農業経済研究』77-1 |
日本農業経済学会 | 2005年 |
小谷良子・長嶋俊介・ 野田文子 |
「波照間島における地域福祉環境システムの構築と地域振興 -島民の生活と相互扶助に関する調査分析」 『島嶼研究』5 |
日本島嶼学会 | 2005年 |
--- | 「特集 スローに巡る南の島々 波照間島だけの海と空」 『沖縄スタイル』8 |
エイ出版社 | 2005年 |
宮西郁美 | 「波照間島ユイマールにみる協同労働組織の実態と新たな機能」 『農業経済研究』77-1 |
日本農業経済学会 | 2005年 |
野本三吉 | 「海と島のある風景 南島民俗紀行(第27回)巨人伝説の島・波照間」 『公評』42-2 |
公評社 | 2005年 |
恩田守雄 | 「沖縄の互助社会 琉球諸島の多様な互助活動 (1)沖縄諸島 ②久高島の地割(ジーワイ)社会」 『互助社会論 ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学』 |
世界思想社 | 2006年 |
恩田守雄 | 「沖縄の互助社会 琉球諸島の多様な互助活動 (2)八重山列島 ③波照間島の互助社会」 『互助社会論 ユイ、モヤイ、テツダイの民俗社会学』 |
世界思想社 | 2006年 |
松島泰勝 | 「八重山諸島における「経世済民」の実践 人間の結び合いを発展の土台にしている島々」 『琉球の「自治」』 |
藤原書店 | 2006年 |
得能壽美 | 『近世八重山の民衆生活史』 | 榕樹書林 | 2007年 |
野本三吉 | 「巨人伝説の島・波照間」 『海と島の思想 -琉球弧45島フィールドノート-』 |
現代書館 | 2007年 |
菱山忠三郎 | 「南十字星の見える島 波照間島」 『ぐるっと日本列島 野の花の旅』 |
山と溪谷社 | 2007年 |
峯俊智穂 | 「観光がまちなみ保全へ果たす役割 沖縄・波照間島の伝統的建造物群保存地区へ 向けた動きを事例として」 『日本観光研究学会全国大会学術論文集』22 |
日本観光研究学会 | 2007年 |
箭内博行 | 「最南端の祭へ ムシャ-マ・波照間島」 『約束の島、約束の祭-祈り踊る沖縄島人が僕にくれたもの』 |
情報センター出版局 | 2008年 |
谷川健一 | 「クローズアップニッポン(102) 国境 海の境界へ 先島~与那国島と波照間島」 『プレジデント』46-16 |
プレジデント社 | 2008年 |
2008年度 高村ゼミナール |
『竹富町波照間島研究報告書 -島民ライフ・ヒストリー集とアンケート調査-』 |
立命館大学 政策科学部 |
2009年 |
遠藤ケイ | 「太陽の熱とキビの甘さ 波照間島」 『遠藤ケイの島旅日和』 |
千早書房 | 2009年 |
高村学人 | 「まちなみ保全制度の逆説とその克服法 沖縄・波照間島での実践的調査から」 『創文』522 |
創文社 | 2009年 |
かりまたしげひさ | 「波照間方言と与那国方言の形容詞語尾を言語接触からみる」 『南島文化』31 |
沖縄国際大学 南島文化研究所 |
2009年 |
歴史ミステリー研究会 | 「島の神の名は「ミルク」(沖縄県波照間島)」 『封印された日本の離島』 |
彩図社 | 2010年 |
西岡敏 | 「波照間方言のことわざ集 『波照間島の歴史・伝説考 -仲本信幸遺稿集』をもとにしての音声記号化の試み」 『沖縄国際大学日本語日本文学研究』14-2 |
沖縄国際大学 日本語日本文学会 |
2010年 |
金山秋男 | 「アウエハント・静子氏特別講義 波照間島の神行事に学ぶ私たちの未来」 『いすみあ』2 |
明治大学大学院 教養デザイン研究科 |
2010年 |
古谷野洋子 | 「波照間島の農耕文化 昭和30年代までの農業を中心に」 『比較民俗研究』24 |
比較民俗研究会 | 2010年 |
石垣繁 | 「明和の大津波と波照間・白保方言」 『国文学 解釈と鑑賞』75-1 |
ぎょうせい | 2010年 |
波照間島関連ウェブサイト |
竹富町役場 |
波照間島 / フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
竹富町観光協会 |
波照間島の地図 -地理院地図(電子国土Web)- |
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